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日本最古の温泉
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文豪夏目漱石発端の地
−道すがら子規、虚子と交わした文学論−
夏目漱石が、松山中学の英語教師としてこの地を踏んだのは、明治28年4月のこと。そのころの道後温泉は木の香りも新しい建物だったことから、「道後温泉はよほど立派なる建物にて、八銭出すと三階に上り、茶を飲み、菓子を食い、湯に入れば石鹸で洗ってくれるような始末、随分結構に御座候」と手紙に書き送っています。漱石は、病気静養のために帰省していた子規と50日あまり同居生活し、子規や虚子としばしば道後に出かけています。道すがら交わした文学論や、神仙体の俳句は、英語教師・夏目金之助から文豪・夏目漱石へ変身する発端となります。
「道後温泉はよほど立派なる建物にて、八銭出すと三階に上り、茶を飲み、菓子を食い、湯に入れば石鹸で洗ってくれるような始末、随分結構に御座候」
漱石と道後温泉
道後温泉本館が完成した翌年(1895年)漱石は大学卒業後2番目の赴任先として、松山中学に赴任します。漱石は松山に1年しか滞在しませんでしたが、10年後(1906年)に小説『坊っちゃん』を発表します。そして、これが大ベストセラーになり、道後温泉の名を広く全国にPRすることになりました。漱石が来た時、道後温泉はまだ新しい木の香る温泉だったことを後から考えてみると、道後温泉にとって漱石はあまりに良いタイミングで松山に移ってきたということです。
坊っ
ちゃんの間
道後温泉本館が完成した翌年(1895年)漱石は大学卒業後2番目の赴任先として、松山中学に赴任します。漱石は松山に1年しか滞在しませんでしたが、10年後(1906年)に小説『坊っちゃん』を発表します。そして、これが大ベストセラーになり、道後温泉の名を広く全国にPRすることになりました。漱石が来た時、道後温泉はまだ新しい木の香る温泉だったことを後から考えてみると、道後温泉にとって漱石はあまりに良いタイミングで松山に移ってきたということです。
おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及(およ)ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛ける。温泉は三階の新築で上等は浴衣(ゆかた)をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女 女が天目(てんもく)へ茶を載(の)せて出す。おれはいつでも上等へ入った
(小説『坊っちゃん』三章)
坊っちゃん団子
漱石が通っていた頃(明治28年)の道後温泉は、まだ木の香りのする新築でした。又、漱石は病気静養の為帰省していた子規や虚子としばしば道後に出掛けたといいいます。その道で交わした文学論や俳句が英語教師・夏目金之助から文豪・夏目漱石へ変身するきっかけとなりました。又、坊っちゃんが温泉の帰りに食べたという「ゆざらし団子」は3色の「坊っちゃん団子」にアレンジされ、道後温泉街の名物となっています。
おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰(だれ)も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へ はいると団子二皿(さら)七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払(はら)った。
(小説『坊っちゃん』三章)
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