タオルとアートを融合させた、世界でも珍しい美術館です。タオルを使って作られたアートや、綿花から糸になるまでの紡績行程、タオルの製織行程を実際の機械を使用して展示しています。カラフルな糸巻が壁一面に飾られた「糸巻の壁」は、フォトスポットとしてSNSを中心に人気観光地となっています。
愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する、標高1,982mの山です。日本百名山、日本百景に加えて日本七霊山の一つとされており、霊峰石鎚山とも呼ばれています。
古くから山岳信仰(修験道)の山として知られており、山のかたちが石でできた剣である「石鎚」に似ていたことが山名の由来などの伝承もあります。
別子銅山の施設跡などを利用したテーマパークです。
最後の採鉱本部が置かれていた
約2.8ヘクタールもの広大な敷地に、世界各地のバラ400種、約3500株が咲き誇るローズガーデンです。多くの種類のオールドローズが植栽されていることが特徴です。園内には遊歩道が整備されており、バラを鑑賞しながら散策することができます。
新宮町上山の中野地区は「あじさいの里」として知られています。約4ヘクタールの山の斜面に2万株の紫陽花が咲き誇る花の名所で、毎年6月中旬から下旬にかけて「新宮あじさい祭り」が開催されます。祭りの期間中は、モノレールの運行があり、乗車しながら紫陽花を楽しむことができます。
県立の博物館です。世界で2番目の規模のプラネタリウ厶がある博物館としても知られています。通称「かはく」と呼ばれ、地域の人に親しまれています。建物の設計は、黒川紀章建築都市設計事務所であり、年間約20万数千人が来館しています。
広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ、全長約60kmの自動車専用道路で、「西瀬戸自動車道」・「生口島道路」・「大島道路」の3つからなります。
10本の橋で結ばれており、瀬戸内の島々の美しい風景を眺めながら、ウォーキングやサイクリングを楽しむことができます。
特産品である水引は、紙の原料である
毎年10月中旬に開催される勇壮華麗なお祭りです。祭りの期間中は、「かきくらべ」と呼ばれる太鼓台を持ち上げる様を競い合う男衆「かき夫」の力比べが市内各地で繰り広げられます。
五穀豊穣を神に感謝する神事で、江戸時代から続く伝統的な祭りです。提灯などで飾りつけた豪華絢爛なだんじり(別名・屋台)、みこし、太鼓台が神社に奉納され、その数は日本一ともいわれています。だんじりが川を渡って対岸の神社に帰ろうとする神様のみこしを取り囲み、祭りを引き延ばそうとする「川入り」なども行われます。
松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、江戸時代に建築された天守が現存する「現存12天守」の一つで、日本100名城に選定されています。
松山藩主の邸宅跡を復元した庭園で、花や木、芝生や水などを利用し、表御殿跡は「柑橘・草花園」として、奥御殿跡は「流水園」として往時の間取りを再現しています。また「恋人の聖地」として認定を受けています。
日本最古の歴史を誇る道後温泉のシンボル。木造三層楼の本館は、明治27年に建てられ、温泉施設としては日本で初めて国の重要文化財に指定されています。現在、保存修理工事中ですが、入浴はできます。
明治時代に使用されていた湯釜から湧き出るお湯を利用しており、気軽に立ち寄れることで人気の足湯です。道後温泉周辺ではこういった無料の足湯・手湯めぐりを楽しむこともできます。
道後温泉駅前の放生園にあるカラクリ時計は、8時から22時まで1時間ごとに時計がせり上がり、小説『坊っちゃん』の登場人物が現れます。
※季節により30分ごとの上演の時期もあります。
中世伊予の守護、河野氏の居城であった湯築城跡には、資料館や武家屋敷が整備され、国の史跡に指定されています。
春は桜の名所として多くの花見客で賑わいます。
近代俳句の祖といわれる正岡子規を中心に、夏目漱石や松山市が生んだ文人たちの業績を集大成した文学系の博物館。およそ6万点の実物資料や書籍を所蔵しており、子規の生涯を紹介する常設展示のほか、「特別展」などを開催しています。
松山市が進める『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想の中核施設。博物館としての展示機能のほか、情報発信機能、まちづくり支援機能を有しています。建物は、安藤忠雄氏の設計によるものです。
明治21年(1888年)から67年間松山を走っていた蒸気機関車を復元し、路面電車の一部区間を運行しています。夏目漱石の小説「坊っちゃん」に登場したことから名前がついたと言われています。
大正11年(1922)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨が別邸として建てたフランス風の建築物です。建築当時の様子をそのままに残す貴重な建築物として、平成23年(2011)11月、国重要文化財に指定されました。
漂泊の俳人種田山頭火終焉の地で、本来の一草庵が老朽化したため、昭和27年に山頭火を慕う人々が再建した木造平屋建ての建物です。
平日は外観のみの見学ですが、土・日・祝日は、内部が公開されます。
江戸時代の俳人、栗田樗堂の草庵。
老朽のため復興整備された今も当時様子を偲ばせています。
春には樹齢200年のノダ藤が花を咲かせます。
明治の俳人、正岡子規が17歳まで過ごした家を正宗寺境内に復元したものです。
館内には愛用の勉強机を置いた3畳の部屋があり、紀行文や写生帖が展示されています。
正岡子規や高浜虚子など多くの俳人を輩出したことから「
道後温泉本館からひと歩き、愛媛県民文化会館のそばにある「俳句の道」は、俳都・松山にふさわしい道。
道路の脇には10数基の句碑が建てられています。
『念ずれば花ひらく』で知られる詩人・
森羅万象への深い愛と、人としての生き方を、時に優しく、時に厳しくうたった詩は、多くの人たちに愛されています。
四国や瀬戸内の伝統文化・歴史、偉人をテーマにしたミュージカル作品を上演している西日本初の常設劇場です。
坊っちゃんスタジアムにある野球大国・松山の歴史がわかる野球歴史資料館。
明治の正岡子規から現代までの歴史を映像・パネルで紹介しています。
の・ボールは、子規の雅号「の・ぼうる」にちなんで。
ロシア兵墓地には、日露戦争で捕虜になり、松山に送られ、当地で亡くなったロシア兵の墓があり、現在でも、市民や地元中学生らによる清掃活動が行われています。
松山市のウォーターフロント、三津浜、高浜界隈には今も子規が旅立った当時を思わせる風情が残されています。その一つが「三津の渡し」として親しまれている渡船。
朝は通勤のサラリーマン、昼間は買い物に出かける人、夕方には帰宅する学生…とまさに市民の足となっています。
松山藩主の松平定行公が、長崎で味わい、製法を持ち帰ったと伝わる菓子です。しっとりとしたカステラ生地で餡をくるっと巻いた上品な味わいです。
夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公が好んで食べたといわれる松山を代表する銘菓です。カラフルでかわいい、一口サイズのお団子のためお土産にもとても人気です。
伊丹十三の足跡をたどることができるよう、十三の名前にちなみ13のコーナーを設けた「常備展示室」のほか、「企画展示室」や中庭を囲む「回廊」、伊丹十三好みの飲み物を用意した「カフェ」など、伊丹十三の世界を感じることができる記念館です。
北条港沖400mに浮かぶ周囲約1.5kmの小島。
夏には海水浴、また1年を通して釣りなどを楽しむことができます。
また、島の名前の由来となった鹿(県天然記念物)が生息し、毎年10月には、「鹿の角切り」の行事が行われています。
愛媛県の代表的な民踊の一つである伊予「万歳」の起源は、約300年ほど前に辿るもので、江戸時代中期の寛永年間(1624年~1643年)に松山藩松平初代藩主・定行が愛知県「知多ちた万歳」を招いたことに始まるといわれています。
野球拳は、大正13年に高松市で開かれた実業団の野球大会に出場した伊予鉄チームが、地元の高商倶楽部に0-8で惨敗し、その夜の懇談会の席上、意気消沈する選手たちを盛り上げようと、当時副監督であった前田伍健氏が、即興で作詞振付し、三味線に合わせて踊ったのがはじまりです。
例年10月5日~7日に、各地域でさまざまな祭事が行われる。なかでも「もてこい、もてこい」の掛け声とともに、荒々しく神輿をぶつけ合う「鉢合わせ」は壮観で、道後温泉駅前の鉢合わせは有名です。他にも市内各所で行われています。
社殿は、江戸時代初期に松山三代藩主・松平定長が流鏑馬の成功を祈願し、成就したことからそのお礼として建立されたもので、日本三大八幡造りの一つに数えられ、国の重要文化財に指定されています。
812年の建立とされる阿弥陀如来が本尊の寺院。本堂の手前にある仏堂には白くて巨大な湯の大地蔵尊があります。カラフルな開運グッズのお結び玉が人気スポットとなっています。
四国88ヵ所の51番札所。創建は8世紀といわれ、2体の金剛力士像が安置された国宝の仁王門、重文の三重塔・鐘楼など見所が多くあります。衛門三郎伝説が寺名の由来といわれています。
時宗の開祖として知られる一遍上人の生誕地です。平成25年、火災により本堂等が全焼し、国の重要文化財である「木造一遍上人立像」が焼失しましたが、多くの方々の尽力により、平成28年、宝厳寺は再建し、新たに一遍上人堂も建立されています。
松山市花園町生まれ。「写生」を唱えて俳句・短歌の革新を行い、さらに写生文を創始。「近代俳句の父」といわれている。晩年の7年間は病床にあり「仰臥漫録」などに赤裸々な姿を記した。野球の名付け親としても有名で、2002年に野球殿堂入りしている。
松山に中学の英語教師として明治28年4月から1年間滞在し、愚陀仏庵で子規と52日間同居した生活で、俳句に目覚めました。
ロンドンに留学後、俳詩「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を連載しました。
翌年に小説「坊っちゃん」を発表し、小説家として不動の地位を築きました。
松山市湊町生まれ。子規の期待と愛情が深く、子規は自分の後継者にと望みましたが辞退しました。虚子は俳誌「ほとゝぎす」を松山から東京に移し、「ホトトギス」と改名し子規の協力を得て編集発行しました。
兄・秋山好古、弟・秋山真之。松山出身の軍人で、日露戦争で活躍し、日本の勝利に貢献しました。
正岡子規と共に司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」の主人公となっています。
いよてつ高島屋の屋上にある大観覧車。
昼は松山市内を一望でき、夜はイルミネーションがとても綺麗です。
床面が透明ガラス製の「シースルーゴンドラ」もあります。
西日本屈指の規模を誇るとべ動物園には、約180種1,000頭もの動物が、なるべく自然に近い姿でみられるよう展示されています。日本で初めて人工哺育に成功した、ホッキョクグマのピースもいます。2021年3月には、とべ動物園とえひめこどもの城をつなぐ全長730m、四国最大級のスケールのジップラインがオープンしました。
厚手でぽってり、ぬくもりのある風合いが人気です。窯元の中には、ギャラリーや製造工程の見学のほか、絵付けやロクロ体験ができる施設もあります。
ホームから望む美しい夕日と風情ある駅舎が話題の無人駅です。数々の映画やドラマのロケ地としても使われています。
久留米絣、備後絣と共に日本3大絣と言われています。木綿100%で丈夫な上にお手頃価格、しかも柄が多彩と、嬉しい要素を兼ね備え、行商人の努力もあって広く普及しました。
「大洲の鵜飼」は、岐阜県長良川・大分県三隅川と並び日本三大鵜飼の一つです。肱川で行われる鵜飼いは、
大洲藩第3代藩主・加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」ことから、この地域を「臥龍」と名付けたと言われています。山荘は、豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎が、老後の余生を大洲で過ごすため、明治30年頃から十数年かけて築造しました。
国の重要文化財に指定されています。
宇和海と瀬戸内海の二つの海に囲まれた、四国の最西端かつ日本で一番細長い半島です。
岸壁にはシンボルとなる白い灯台があります。
晴れた日には、九州まで遠望でき、美しい夕日も眺められるスポットです。
「南予の鯛めし」は、生卵が入った特製のタレに漬け込んだ鯛の刺身と薬味を、アツアツのごはんに乗せて一緒に味わいます。
全国的にも珍しいタイプの鯛めしです。
四国最大規模の日本庭園です。池の周囲を歩いて観賞できる池泉回遊式日本庭園で「山、里、町、海」の景観を構成しています。
園内では花菖蒲やツツジなど、四季折々の花を楽しむことができます。
平成元年には、「日本の都市公園100選」に選ばれました。
17世紀の後半頃、宇和海を漂流していたオランダ船を漁民が救助し、その礼として贈られた2頭の牛がたまたま格闘したことが始まりと伝えられています。
制限時間なしで牛同士が戦い、逃げた方が敗けというシンプルなルールです。
牛たちの持つ技は10種に分類されており、個々の得意技を繰り出して闘います。
四国八十八箇所霊場の43番札所となる寺院。弘法大師により再興、源頼朝により修繕され、室町時代には西園寺氏、江戸時代には宇和島藩・伊達家の祈願所となっていた由緒正しい寺です。境内には、繊細な彫刻が施された建築物が数多く現存しています。
左手に水瓶をもつ「しあわせ観音像」が見どころです。
大正5年、大正天皇の即位を祝い創建した芝居小屋です。木造2階建て瓦葺き入母屋作りで、回り舞台や花道、枡席などを整えた劇場で芝居などが盛んに公演されました。取り壊しの危機を乗り越え、現在も町内外の芸術文化活動の拠点とて活用されています。2016年には、創建100周年を迎えました。
旧暦の七夕の日に、約50本の笹飾りが約500mの商店街を彩る夏の恒例行事です。大きなくす玉や、わっか、吹き流しが装飾された豪華な笹飾りは見応えがあります。
開催される2日間は歩行者天国となり、「笹踊りコンクール」などのイベントが行われ、お祭りを盛り上げます。
肱川河口に架かる橋で、現役で動く日本最古の道路可動橋(バスキュール式鉄鋼開閉橋)です。昭和10年に完成したこの橋は、延長232.3メートル、幅員6.6メートル、開閉部分の長さ18メートル、カウンターウェイトの重さは82トンもあります。